私には、かつて何度も精神病院に入院していた時期がある。自傷を繰り返し、死を望み、それでも生き延びた日々があった。あの頃の私は、世界が真っ暗に感じられて、生きている理由なんてどこにも見つけられなかった。
けれど、そんな私が今こうして、あの頃の自分を冷静に見つめ、「きっと私は本当は生きたかったんだ」と言えるようになった。
その変化の背景には、私の中で起きた「クンダリーニ覚醒」という出来事があるような気がしている。
クンダリーニ覚醒と聞くと、一般には「至福」「宇宙との一体感」などのポジティブなイメージが先に浮かぶかもしれない。けれど実際には、それはただ快楽的なスピリチュアル体験ではない。むしろ本質は、「自分の奥深くに押し込めてきた痛みや影をあぶり出し、それを光の中へと溶かしていくプロセス」にある。
私があの頃の記憶を受け入れられるようになったのは、ただ時間が癒したからではない。
あの絶望の記憶を、「あれも私だったんだ」と言えるようになったのは、「クンダリーニという目に見えないエネルギーが、私の内側の深層へと入り込み、眠っていた痛みを浮かび上がらせてくれたから」なのだと思う。
クンダリーニは、ただ上へと上がっていくエネルギーじゃない。
それは、下から、身体から、魂の奥底にある記憶を伴って、全てを連れて上昇していく流れだ。
それがあるとき、過去の自分を憎むことなく、哀れむことなく、ただ「在ったもの」として抱きしめられるようになる。
そして気づく。
あの頃の自分は、死にたかったんじゃなくて、「生きたかったんだ」と。
自分が存在していることを感じたかった。
誰かに、私はここにいるよ、と気づいてほしかった。
今の私がそれを思い出し、感じ、言葉にできるのは、クンダリーニが私の中の「統合」を始めてくれたからだと思っている。
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クンダリーニは、私に光だけでなく、「影も抱いて生きていける強さ」をくれた。
それは“悟った人”のような完璧な姿ではなく、傷を知ってなお、そこにとどまらない優しさとして、今の私に残っている。
この文章を読んでくれる誰かが、もし同じように、過去の痛みを胸に抱えているなら、私は伝えたい。
あなたの中にも、そのすべてを照らすエネルギーはある。
それがクンダリーニであれ、呼び名がなくても、かならずどこかで息づいている。
そしていつか、その痛みすら、自分の一部として抱きしめられる日が来るかもしれない。
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私はそうして、今ここに、生きている。
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