私たちは本当に“初めて”を生きているのか ―忘れられた文明と、今を生きる私たちの宿命

「少子高齢化」という言葉が日本社会を覆うようになって久しくなりました。労働力の減少、年金制度の限界、医療費の増大。私たちはこうした現実を“初めて”の課題として受け止め、手探りで解決策を探っているところです。

しかし、ふと疑問が湧いてきます。「これは本当に人類史上、初めての出来事なのだろうか?」

 

忘れ去られた文明の記憶

人類には非常に長い歴史があります。シュメール文明、エジプト文明、インダス文明、マヤ文明、そして伝説上のアトランティス…。確かに、それぞれの文明は興っては消えていきましたが、多くの場合、「なぜ消えたのか」は今なお謎のままです。戦争や災害、環境破壊などが原因に挙げられることもありますが、もしかすると、現代の私たちと同じように、内部から「老い」が進行していったのかもしれません。

人口が減少し、精神性が高まり、やがて「次のステージ」へと移行していった――そんな仮説を立てることもできます。そう考えると、私たちは単なる滅亡に向かっているのではなく、「変容」のプロセスにいるのかもしれません。

 

 “初めて”という錯覚

もし人類がこれまでにも文明を築き、崩壊させ、再び興してきたとすれば、今私たちが直面している問題も、本当は“初めて”ではないのかもしれません。しかし、その記録は失われ、語り継ぐ人もいないため、私たちはこれを“初めて”であると錯覚しているのです。

この世界は、繰り返される“輪廻”のようなものかもしれません。そして、今の私たちはそのサイクルの中の、また一つの節目に立っているのではないでしょうか。

 

肉体を超えた“生命エネルギー”としての存在

クンダリーニ覚醒を体験した私にとって、この感覚は非常にリアルなものです。肉体は単なる「入れ物」にすぎず、私たちの本質は“生命エネルギー”そのものだという感覚が、覚醒を通して明確になります。古代宗教や神秘思想、チャクラや真言宗の教えもまた、この「内なる変容」を語っています。

もしかすると、古代文明の人々はこうした“変容”を自ら選び、物質世界から離れていったのかもしれません。だからこそ、彼らは「誰もいなくなった」ように見えるのではないでしょうか。

 

最後に

私たちは、何を信じ、何を感じ、何を選ぶのか――

その一つ一つの積み重ねが、次の文明の“種”になるのだと思います。たとえこの文明が終わりを迎えたとしても、“生命エネルギー”としての私たちは続いていきます。だからこそ、恐れることなく、静かに自分自身とつながっていくことが大切なのです。

それが、目には見えない「記憶」や「意志」を、未来へと受け渡していくということなのかもしれません。

 

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